同業でも違いが・・


ロータスクラブ同友会
http://www.lotas.co.jp/about/

静岡県支部 のメンバー(同友と言います)会社の
社長さん、役員さん 12名が
バスで ユーズネット豊田 へ来られました。

ユーズネット本部/株式会社ルートも
3年ほど前から ロータスクラブのメンバーです。

今回、訪ねてこられたメンバー は
大きな くくりでは 当社と ご同業です。

が・・・しかし
創業から、整備を中心に経営を進めてこられた会社と

 
当社のように

車販売を主に事業を進めてきた会社と
考え方、経営の方針が全く違います。

ユーズネットグループは
販売を主に 創業から40年 現在までやってきました。
20年近く前から オイル交換無料
車検基本工賃 無料 を続けています。

今では、お客様も スタッフも
当たり前のサービスになっている と 言う事に 
みなさん とてもびっくりしておられました。



静岡県各地で、その地域のお客様に認められ
なくてはならない会社として現在を築いてこられた
企業の方々ばかりでした。


今回お知り合いになれた 12名は歴史ある
企業の方々ばかりでした。

この出会いを 大切に
静岡県へ 出向いたときは 訪問させていただき
今度は 私が 学ばせていただきたいと
思っています。









 



ガンバレ三菱自動車

三菱自動車が 燃費データの不正を発表し 謝罪と共に
軽自動車4車種の生産、販売を停止してから 
1か月を超しました。


販売停止と共に、ユーズネットグループにあった
三菱車カタログは、三菱ディーラーの担当者によって
一切 片づけられました。

片づけに来られた、担当者の
気持ちを思うと、胸が痛くなります。

メーカーの 燃費データ不正は、お客様をだましたことで
決して許されることではありません。

しかし、三菱の軽自動車の生産、販売が止まるという事は
生産にかかわる膨大な数の協力部品工場の仕事が止まるという事で
真面目に三菱自動車を支えてきた 
何万人という人々が生活出来なくなるのです。

そして 三菱自動車信じて拡販していた
専売ディーラーと その代理店では 
売る商品がないという 
大変な事態なのです。

メーカーは
お客様に対する説明 謝罪と補償の問題
協力会社 ディーラーに対する 支援や補償の問題を
一刻も早く進めてほしいと思っています。

幸いにも、ニッサンの資本参加によって
最悪の事態は 回避され
とりあえず 安心して見守っていられます。

今までの体質を根本から改め
今度は 正式なデータによって 
早く 型式指定を取得して欲しいです。 


販売再開は 今秋以降と言われています。


三菱自動車が生まれ変わり
①生産を再開し  
②ディーラーが自信を持って販売し
③お客様に買って 使って納得いただかない限り
  信頼回復はあり得ません。


信頼回復への 道は遠そうに見えますが、
案外近いのでは、と期待しています。

「ガンバレ三菱自動車!」
 












親友の50回忌

ゴールデンウィークの山

残念ながら

今年も 遭難事故の ニュースが

いくつも伝えられている。



一人の 遭難死が

どれほど多くの人々を悲しませることか・・・







学校も、山も いつも一緒だった


親友が、


白馬岳北の 小蓮華山の尾根から滑落して亡くなった。


49年前の5月2日だった。 


10年近く前から


50回忌までには、


もう一度


弔い登山をしようと心に誓っていた  が


その後 今日まで果たせていない。


年を追うごとに


実行がむつかしくなっている 自分を感じていた。



5月2日は


彼の50回忌 


という事は


この世で24年


あの世で49年 


この世の倍以上ともなれば


きっと すっかりあの世暮らしになれたことと思う。


きみが大好きだった妹も


16年前の今日 5月5日に そちらへ行ったよ。


ひょっとして 二人で 幸せな 


あの世暮らしをしているのでは。


そう思う事で、自分を慰めることにする。



あの世の 二人に 

・・・合掌・・・

白馬岳  彼は右(北)方向の小蓮華山へ向かう尾根から 滑落したと言われている。

2007年05月02日 私のブログより・・
・・本文そのまま・・


白馬岳・・・・

中学校1年生の夏、山に登ろう・・・
どうせ登るなら愛知県の最高峰に。
同級生をさそって登った茶臼山が、私の山の始まりでした。

中学2年生では、蓼科山へ登りました。

高校に入ってからは、
毎週のように、鈴鹿の山へ行ってました。

その時のとても親しい仲間に、
外山林生(とやま、しげお)君がいました。

高校時代から、私の山の半分には彼がいました。
彼とは、夜間大学もいっしょでした。

今からちょうど40年前のことです、
当時私はカローラを売るセールスマンでした。
昭和42年 5月 2日・・・あの日も私は仕事をしていました。


その日の昼、食事の為、喫茶店にいました。
ラジオは昼のニュースの時間でした。


「白馬岳で、名古屋市職員山岳会のメンバー1人が、700メートル滑落・・・」
「外山林生(とやま しげお)さん・・・」と言う名前、そして「絶望ーー」とアナウンサーの言葉・・
自分自身、血の気が引いたのを今でも覚えています。

すぐ社に帰り、上司に事情を話し、今から白馬へ行きたいから休みをくれるよう頼みました。
上司の答は・・
「井上君が行けば、友達は助かるのか?」でした。


その日は何も手につきませんでした。仕事を終えたら誰がなんと言おうが、白馬へ行く・・・
ちょうど翌日からは3連休でした。

「林生(シゲオ)!俺が行くまで待っていてくれ!」
夜を撤して走りつづけ、夜が明ける頃には白馬の麓にいました。
残念ながら麓で・・彼の変わり果てた姿との対面になってしまいました。


現地で火葬されることになりました。
彼をのんだ「白馬」の里は、遅い桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っていました。

彼を天に運んだ「けむり」と・・・・
我々山の仲間で歌った
あの「雪山賛歌」

山よ、さよなら・・・

ご機嫌よろしゅう・・・

また来る時にも笑っておくれ・・・


涙でくしゃくしゃになりながらの歌声が、
むなしく「白馬岳」に消えていきました。



あの彼が最後の「山行」へ行く時、
私にアイゼン(雪や氷の上を歩く為の金具)を借りにきました。

冗談に、「おまえは死んでも、
アイゼンだけは返してくれ」といって貸しました。

残雪多い早朝の白馬岳(2932m)~小蓮華山(2769m)への尾根で、
アイゼンを衣服に引っかけて、
バランスをくずして滑落してしまったとのことでした。

俺のアイゼンで・・・何か自分が悪いことをしてしまったような・・・責任を感じてしまいました。

せめての償いのつもり、と、とても山を楽しむ気にもなれず、
あの時から自分は山を止めることにしました。

あれから16年経過して、40歳でまた山を再開しましたが、
55歳で社内の反対とゴルフを始めることで再度、
山を止めることにしてもう10年になります。

最近は山へ行きたいではなく、過去の山の懐かしさに浸ることがたびたびです。
実は今日、10年前に買った山の雑誌を見ていて、
白馬で亡くなった外山君を思い出してしまったのです。

私の二つ年下の妹は7年前に脊椎のガンで亡くなりました。
その妹が当時好きだった人が 山で亡くなった 外山君でした。

私はその妹の思いをかなえる「キューピット役」を引き受けていたのでした。

その思いを知ることなく彼は帰らない人になってしまったのです。
この事にも、私は責任を感じていました。


亡くなった妹の思いもザックにつめて・・・・
彼の50回忌までにもう一度「白馬岳」に弔い登山をしようと改めて誓いました。




中京テレビのちょいきゃん


中京テレビの

「キャッチ」という番組で、4月26日

ユーズネットの 軽自動車キャンピングカー

「ちょいCamきゃん」が紹介されました。

美鹿専務  とても上手に
「ちょいCam」の説明をしていました。







事前の 取材には 美鹿専務が応じました。

カメラの前 リポーターさんと 楽しそうに撮影は進んでいました。

 





中京テレビ 主催

グッドライフフェスタ が 4月27日・28日・29日
3日間 吹上ホールで 開催されました。

29日(祭)
10時オープンの 15分ほど前 

入場待ちの 長蛇の列ができていました。



ちょいキャンブースは

中京テレビで 紹介されたこともあり

熱心な来場者が絶えることがありませんでした。


3日間、多くのご来場者に

ちょいCam を知っていただきました。



ご来場者アンケートで

「軽自動車に ちょいCamのような
キャンピングカーがあることを
知らなかった」 

と回答された方が
多かったのには 驚きました。

軽キャンピングカー の未来は明るい、

これからなんだと 

認識を新たに致しました。







ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。

2016

5

1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新記事

カテゴリー

アーカイブ

ハッシュタグ