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父親の遺品


私の父親は

明治40年生まれです。


昭和44年、私が27歳の時 くも膜下出血でなくなりました。

62歳でした。


私の すぐ上の兄 長男が家を継ぎました。

その後、平成12年に、母も92歳で他界しました。



兄も、先月 4月6日になくなってしまいました。





昨日 儀姉の依頼で、

父・母の遺品を預かってきました。



私の父母の遺品が 

相当量あるとのことでしたので、

ワゴン車を用意。


15歳と9歳の孫を、

荷物の運び役として連れて行きました。



 


預かってきた遺品のなかに、

父が 終戦時に 戦地より持ち帰ってきた

鉄かぶと と 水筒 がありました。



鉄かぶとを見て、9歳の孫は、

「これ ナニかなぁ??」 とけげんな顔をしていました。



父は、明治40年生まれ

孫は、平成17年生まれです。


私の父が生まれてから、

100年近く 時を隔てて、 

この世に生を受けた9歳の孫。





この100年の間に、

日本はいろんなことを経験してきました。


そして大きく変わりも しました。


戦争が、終わったのは、

孫が生まれる、60年前です。




遺品の 鉄かぶとに手を合わせ

苦労多かった 先祖に先ず 感謝!



明治・大正・昭和初期の先人達が

苦労を重ねて この国を創ってきました。

そのことを 昭和の中・後期生まれの私たちが

感謝の念で 中継ぎをし 

次の世代に伝える義務があります。



改めて思いました。













ある部屋の こいのぼり



通勤途上で見つけました。


高いところで、
さみしく泳いでいました。




おじいちゃん、おばーちゃんの贈り物?


鯉が泳いでいる、
マンションのこの部屋は、


どんなご家族なのかな?

きっと ほのぼのとした御家族なんだろうなぁ・・


こいのぼりの部屋の
ぼくちゃん・・・・

おじいちゃん・・
おばあちゃん・・
お父さん・・
お母さん・・から
イッパイの思いをいただいて、

良い子に育ってください。



こいのぼりを見て
なんか、、、今日は、
朝から心温まりました。






白馬岳に散った友

5月 2日、

47年前、
白馬岳で亡くなった親友の命日が

今年も また めぐってきました。


彼とは 高校の同級生で、

山へはいつも一緒でした。


・・・昨日、14時15分の、白馬岳ライブカメラより・・・
右から、小蓮華山、白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳

5月2日前後になると、 毎年のように、

彼のことを ブログに書いています。


5月2日をブログに最初に書いたのは 
7年前でした。

2007年05月02日 私のブログより・・
・・本文そのまま・・


白馬岳・・・・

中学校1年生の夏、山に登ろう・・・
どうせ登るなら愛知県の最高峰に。
同級生をさそって登った茶臼山が、私の山の始まりでした。

中学2年生では、蓼科山へ登りました。

高校に入ってからは、
毎週のように、鈴鹿の山へ行ってました。

その時のとても親しい仲間に、
外山林生(とやま、しげお)君がいました。

高校時代から、私の山の半分には彼がいました。
彼とは、夜間大学もいっしょでした。

今からちょうど40年前のことです、
当時私はカローラを売るセールスマンでした。
昭和42年 5月 2日・・・あの日も私は仕事をしていました。


その日の昼、食事の為、喫茶店にいました。
ラジオは昼のニュースの時間でした。


「白馬岳で、名古屋市職員山岳会のメンバー1人が、700メートル滑落・・・」
「外山林生(とやま しげお)さん・・・」と言う名前、そして「絶望ーー」とアナウンサーの言葉・・
自分自身、血の気が引いたのを今でも覚えています。

すぐ社に帰り、上司に事情を話し、今から白馬へ行きたいから休みをくれるよう頼みました。
上司の答は・・
「井上君が行けば、友達は助かるのか?」でした。


その日は何も手につきませんでした。仕事を終えたら誰がなんと言おうが、白馬へ行く・・・
ちょうど翌日からは3連休でした。

「林生(シゲオ)!俺が行くまで待っていてくれ!」
夜を撤して走りつづけ、夜が明ける頃には白馬の麓にいました。
残念ながら麓で・・彼の変わり果てた姿との対面になってしまいました。


現地で火葬されることになりました。
彼をのんだ「白馬」の里は、遅い桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っていました。

彼を天に運んだ「けむり」と・・・・
我々山の仲間で歌った
あの「雪山賛歌」

山よ、さよなら音符・・・

ご機嫌よろしゅう音符・・・

また来る時にも笑っておくれ音符水滴水滴・・・



涙でくしゃくしゃになりながらの歌声が、
むなしく「白馬岳」に消えていきました。



あの彼が最後の「山行」へ行く時、
私にアイゼン(雪や氷の上を歩く為の金具)を借りにきました。

冗談に、「おまえは死んでも、
アイゼンだけは返してくれ」といって貸しました。

残雪多い早朝の白馬岳(2932m)~小蓮華山(2769m)への尾根で、
アイゼンを衣服に引っかけて、
バランスをくずして滑落してしまったとのことでした。

俺のアイゼンで・・・何か自分が悪いことをしてしまったような・・・責任を感じてしまいました。

せめての償いのつもり、と、とても山を楽しむ気にもなれず、
あの時から自分は山を止めることにしました。

あれから16年経過して、40歳でまた山を再開しましたが、
55歳で社内の反対とゴルフを始めることで再度、
山を止めることにしてもう10年になります。

最近は山へ行きたいではなく、過去の山の懐かしさに浸ることがたびたびです。
実は今日、10年前に買った山の雑誌を見ていて、
白馬で亡くなった外山君を思い出してしまったのです。

私の二つ年下の妹は7年前に脊椎のガンで亡くなりました。
その妹が当時好きだった人が 山で亡くなった 外山君でした。

私はその妹の思いをかなえる「キューピット役」を引き受けていたのでした。

その思いを知ることなく彼は帰らない人になってしまったのです。
この事にも、私は責任を感じていました。


亡くなった妹の思いもザックにつめて・・・・
彼の50回忌までにもう一度「白馬岳」に弔い登山をしようと改めて誓いました。


以上が、7年前に書いた、私のブログです。



あっという間に年月はすぎ・・・

50回忌までに、あと2年です。

大丈夫かな??,
本当に登れるかな??

不安がよぎります。
 







TSUTAYAとコラボ

ユーズネットは、

異業種企業との、コラボ戦略を進めています。


その一環として、

このたび TSUTAYAさんとのコラボがスタートしました。

コラボ1号店は、

TSUTAYA豊田高橋店 です。




レンタルCD/DVD/ビデオ
TSUTAYA豊田高橋店


豊田市駅から外環方面に向かって、

豊田大橋を渡り、2つ目の信号を越した右側にあります。











この出会いは
運命かっ! と

書かれた箱が DVDの棚に
並んでいます。

その箱のなかに・・・

一日、一回¥2000ー上限

車の部品代金、メンテナンス代金に
使える金件が一万円分印刷された券が
入っています。
(但し御利用は・・新規のお客様限定です)
(お車ご購入には、一万円×2倍=二万円としてもご利用できます)


TSUTAYA豊田高橋店へ行かれましたら・・・

運命かっ!の BOXから・・・

運命の一万円金券をお取りの上、

有意義に お使いください。


「この企画は、
ユーズネット美里限定で 5月よりスタートしています」










ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。

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