マレーシアへ行ってきました。



ユーズネットのスタッフ17名で、マレーシアの植林地を訪ねてきました。

ユーズネットグループの30周年を記念して、4年前から昨年まで、小学校2校と、トレンガヌ州の奥地に植林をしました。

今回の訪問は、両小学校とトレンガヌ州の開発公社を訪ね、交流をはかることと、植林した「木」に逢うことが目的でした。


写真のクバンカウ小学校では、4年前に植林した「木」が大きく育っていました。

3年前に日本へ招待した、子供たちも、今では中学生、大きくたくましく、成長していました。


メインの植林地は、トレンガヌ州の開発公社によって、「ユーズネットの森」として永久に保護されると約束されました。

「ユーズネットの森」を囲うように、大きな公園の計画が進んでいるとのことでした。


池が出来ます・・・

「ユーズネットの森」は斜面になっていますが、すぐ下に池が出来ます。
池にははすを植え、「ユーズネットの森」の木陰から、はすの花を見ることが出来ます。


駐車場の入り口に、赤い鳥居が出来ます・・・

道路と「ユーズネットの森」の空き地は駐車場になります。
その駐車場の入り口に、なんと、赤い鳥居が出来るのです。日本を強調したいのでしょうが、なんとなく、違和感があります。


サイクリングロードが出来ます・・・

「ユーズネットの森」を一周するサイクリングロードが出来ます。
遠い国です。我々ではちょっとサイクリングと言うわけにはまいりませんが。

「ユーズネットの森」の木々が大きくなり、周辺が公園として整備されるのが楽しみです。

今回訪ねた、2校とも、校長先生はじめ生徒さん十数名を2~3年前に日本へ招待しました。

この度の訪問では、招待したメンバーはじめ皆さんの、心のこもった歓迎をうけました。
でも、「もう一度日本を是非訪問したい」との話には、期待される返事をすることは出来ませんでした。

食事の違い・・気候の違い・・宗教の違い(イスラム教)・・言葉の違い・・受け入れるのは大変なんです。
期待に答えられず、申し訳ないとは思いましたが、とても難しいことなのです。



今回の、マレーシア旅行は、ユーズネットのスタッフのみでしたのに・・・
旅行中、今まで経験したことのない「孤独感」に襲われていました。

一番近い年齢のスタッフでも、20歳以上離れています。そして、たちばも違います。

でも・・・
20歳代、30歳代のスタッフが元気に楽しめば、楽しむほど自分と離れていくようで・・さみしくなってきました。

最終日のホテルで、一人で朝食を取っているとき・・・  孤独感は頂点に達していました。

年齢を重ねれば・・当然のことなのでしょうが・・・

「これから、もっと、もっと孤独になっていくのかなー」・・・

でも・・これは、やもう得ないことなのだろうなー・・・


この先は・・・ 孤独に打ち勝つ強い自分になる・・もしくは、 孤独を楽しむ自分になる・・ように、前向きに生きていこうと思います



         
      




今だから言えること・第8弾・

「〇〇君が、昨夜亡くなったんだって・・・」

「自殺だそうだよ・・家で首をつったんだって!」



これは、5年ほど前の話です。

彼は、今から28年前、昭和54年7月、当社にとって、2人目の男性スタッフとして入社しました。

整備士ということで、入社2~3年は、「当社の初期躍進」に大いに貢献してくれました。

入社当時、月間20台ほどだった販売台数は、5年後には、100台程になっていました。

この5年間の成長に、彼は大きく貢献してくれました。

ところが私が、整備の面で、頼れば頼るほど勤務態度は悪くなってきました。

昭和59年のあるとき、大型自動車の免許が取りたいとのことで、費用は負担することにしました。

免許が取れて間もなく新入社員の歓迎会がありました。

お酒が出るから、車では来ないように、と、皆に注意をしてありました。

当日、彼は車で行こうとしたので、注意したところ、「飲まないから大丈夫・・」とふてくされた態度・・

彼の「酒好き」を良く知っていた私は「飲まないなら、場がしらけるから、来るな!」ときつく言い渡しました。

プッ”とした態度で彼はどこかへ行ってしまい、歓迎会には、出てきませんでした。

翌朝・・彼が出社するなり、「やめさせてもらいます」・・

「今日中に荷物を片付けて出て行け!!」

これが、彼の第一回目の退社となりました。

彼はすぐ、トラックの運転手として働き出しました。

当社の費用で取った免許証で・・・それが私にとっては、とても悔しくて許せませんでした。


運送会社で3年ほど勤めたある日、「土、日バイトでよいので働かせてほしい」と言ってきました。

以前と違って、柔和な感じで言って来たので、バイトに来てもらうことにしました。

よく働き、感じも良く非常に助かりました。

バイトを2年ほど続けたあと、運転手を辞めてフルに勤めたいと申し入れがありました。

願ってもないと喜んで、再度きてもらうことにしました。

最初の頃はとてもよく働き、お客様の受けもよく、喜んでおりました。

3~4年経った頃又様子が変わってきました。

私の車が朝から置いてない日は必ず、友達と思われる人が数名・たむろ・するようになってきました。

私以外のスタッフは無視して、知人の車をさわっていたようです。

私が帰ってきてそれを見つけ、知人と思われる人々に出入り禁止を言い渡しました。

そのことが発端となり、第2回目の退社となりました。

その後は、以前と同じ運送会社に又、勤めるようになりました。


4~5年経って、また私のところへ来ました。

「年齢も40歳を越して、運転手は危険であるし、身体が付いていけない。」
「以前とは違って、ルートのため、家族のために、まじめに働かせてもらうから・・・」
家族のためと言われ・ほろり・としてしまいました。

今度こそは大丈夫とは、思いましたが・・・
社員としてではなく、「今度は請負の出来高払い」ということで来てもらうことにしました。
私には、請負だから、今度は大丈夫と言う思いがありました。

又数年たって、請負と言うことで、私の注意も及ばなくなって結果は・・・・
今までの、悪い状態に輪をかけた状態となってしまいました。

家族のため・・で始まった今回でしたので・・・注意をして・・半年後までの猶予を与えました。

半年たった時、もっと状況は悪くなっていました。

出て行ってもらうことに決定はしましたが、生活もあることだろうから、と、もう半年の猶予を与え出て行ってもらいました。

これが、第3回目の退社でした。



その後は、当社でしていたように、ある整備工場で出来高払いの請負で仕事をしていたようです。

冒頭の「彼が自殺した!」の話が私に伝わったのは・・・彼が当社を出て行った、一年後の夏でした・・・


葬儀に出させてもらって、奥さんと別れてしまっていたことをはじめて知りました。

あれだけ、「家庭が大切」と彼は行っていたのに・・・

家庭が大切なら・・・やはり仕事を大切にすべき・・・と・つくづく思いました。


遺影に手をあわせながら・・・
当社が彼を出さなかったら、この事態にはならなかった・・

でも・・・彼を、そのまま、おいていたら・・・
当社の方が、持たなくなってしまったのでは・・・

私の、決断は・・間違っていなかったはず・・・

・・私の、指導力がもっとあったなら・・など・・いろいろ、考えさせられました・・・


今だから言えることでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・合掌・・・



















血圧



今月、24日から、マレーシアへ行ってきます。

昨年まで、3年かけて、マレーシア、トレンガヌ州で植林によってユーズネット森を作ってきました。

ユーズネットのスタッフ18名で、その森の木たち、手伝ってくれた子供たちに逢って来ます。



一年ぶりの再会で、今から楽しみにしているところです。



健康でなければ、楽しみどころか、スタッフに迷惑がかかってしまいます。

と言ううことで、血圧を計ってみました。

上が・・・129

下が・・・ 84 でした。 この数値を見て、元気が2倍になりました。





建設反対・・






自宅(名古屋市緑区)近くでマンション建設が始まりました。

その建設マンションの隣のマンションに「建設反対」の、のぼり旗が所狭しと立てられました。




聞いてみると、基礎工事の段階で周囲に陥没が起きたとか。





豊田でも、マンション建設反対の、のぼり旗は2~3年前に見たことがありました。

今回のぼり旗で訴えている相手が、トヨタホーム(株)であることに、どうして?と思いました。

トヨタホーム(株)はディーラーとのことですが、・・トヨタ・・の3文字があって、どうして?と思えてなりません。

豊田市で仕事をしていて、私にとって・・トヨタ・・は絶対と思っています。


このマンション建設が豊田市内であったら・・・

もっと早い段階で、話し合ったり、工事の仕方で手を打ったり・・・

少なくとも、今回のように、付近の住民こぞっての反対運動には、至らないと思います。

・・トヨタ・・は絶対!と思っている私の前から・・


     
   

      建設反対の、のぼり旗は、はやく、なくなってほしいものです。






伝説の人??

カローラ・ルミオン店頭発表会に、トヨタカローラ愛豊・豊田店へ行ってきました。

カローラ愛豊は、私が昭和41年から43年まで、2年だけですが、新車セールスとして勤めていた会社です。

ショウルームの入り口で、豊田地区の営業部長が私を見つけ、笑顔で迎えてくれました。

今日は本社から、専務が来ているから紹介すると言われ、紹介してもらいました。

専務さんの顔を見てびっくり、私の在籍時代の後輩だったのです。約40年ぶりの、懐かしい再会でした。

その専務さんが今度は、私をたまたま来られていた、トヨタ自動車の、カローラ店営業本部長に紹介してくれました。

「カローラ愛豊の、伝説の人」と私を紹介してくれました。

勝手にやめて、しかも40年も経った今、私を「伝説の人」と言ってもらえた事に、私は非常にうれしく思いました。



愛知トヨタに入社して、ガソリンスタンド勤務5年
グループ会社のトヨタカローラ愛豊が、パブリカ・カローラの新車の販売を始めると言うことで、転籍となりました。
愛知トヨタから新車販売経験者と私のような、未経験者含め、約120名で販売が始まりました。
 その120名の中で、自分は根拠もなく、絶対1番になろう・いや、なるんだと・とおもってい
ました。

〇 昭和41年8月  トヨタカローラ愛豊の新車販売、第1ヶ月目に新人の私が13台で、1番になりました。
  先輩セールスの人たちは、「あんなものは、”線香花火だ”続くはずがない!」と、陰で言っていたようです。  

〇 翌月、9月から、3ヶ月間の、「オールトヨタ、ハワイキャンペーン」が始まりました。
   

全国のトヨタ販売店から優秀セールスを選抜して、初めて海外へ招待するキャンペーンでした。
   全国から、約100名ほどと聞きました。
   当時ハワイへ行くには、1,000ドル必要でした。1ドル360円の時代です。36万円・当時の私の年収分です。
   発表されて即座に私は、「ハワイへ行くぞ!」と、勝手に決めていました。
   


  ● 9月からキャンペーンは始まりました。
   
 がんばり過ぎた私は、25日頃、急性腎炎で倒れてしまいました。
    見舞いに来てくれた人の話で、9月も14台販売した私が1番だったと聞きました。
    10月は1ヶ月間寝たきりでした。
    11月10日頃、出勤の許可がやっとでました。短時間のデスクワークなら、との、条件付きでした。
    キャンペーンが終わって、10日ほどで発表になりました。
    期間中37台達成で、私のハワイ行きが決まりました。
    愛知県のカローラ店5社、セールスマン数、1、300人の中から4人が憧れのハワイへ行くことになりました。


  ● ハワイで他社のセールスマンの引き抜きに成功!
    ハワイで同室になったのは、私と同じ地域を担当していた、他社の優秀セールスマンでした。
    私にとっては、死んでほしいくらいの「敵」でした。
    ハワイでの一週間でその「敵」を引き抜くことに成功して、会社への「おみあげ」にしました。
    会社ではびっくりされ・・・わたしにとっては、昨日までの敵が味方に変わって、おおいに、協力して貰いました。


〇  3月1ヶ月間の社内キャンペーン開催
  ● ハワイから帰ってすぐ、3月に販売キャンペーンを行うと発表がありました。
  ● 1番・・・8万円  2番・・・5万円 と言うものでした。(当時私は、基本給3万円手当て込み8万円位でした。)
    早速その夜、私は、高校当時の同級生が勤めていた、住吉町の、クラブ「ココボ」へ行きました。
    4月〇日に必ず支払うと言う約束で・・すいていたお店ほぼ貸切で、8万円使ってしまいました。
  ● 1番になり約束どうり、支払いをすることはできました。でも次の給料で多額の所得税には悩 まされました。


〇  1年が終わり年間順位が発表されました。
  ● 年間160台で私が1番でした。2位は確か、110台にも達していなく、差は、50台以上ついたと思います。


翌年、昭和43年春、出勤途上、鶴舞交差点で追突事故にあってしまいました。
その時の、保険会社からの賠償金、と、退職金をもって退社して、中古車会社を設立しました。
バックアップしてくれる親会社があってのことでした。
    
    
あんな、こんなで・・・私は「伝説の人」なのです。
  
   
 今だから、言えることでした。 








軽大会を終えて



 軽大会は、6日・7日二日間、豊田スタジアムにて無事終了いたしました。


天気にも恵まれ、沢山の皆様に楽しんでいただけたと思います。


2日間のご来場は

6日(土)  1、373名
7日(日)  1、773名
 
合計    3、146名


ご成約

6日 23台
7日 28台

合計 51台

その後の一週間で、継続商談よりの、ご成約見込み・・・約 30台

第2回「軽大会」 合計ご成約予測  約  80台

以上のご成約成果が期待できますのも、協力くださった、軽自動車ディーラー各社及び
協賛出店してくださった、皆様のおかげと感謝いたしております。

ありがとうございました。


2日間、会場にいて、ユーズネットグループのスタッフの献身的な行動が心に残りました。

前線の営業スタッフのみならず・・・
うしろでがんばった、スタッフ・・・

ありがとう!
こんなに、すばらしいスタッフに恵まれた、ユーズネットグループ・・・

「日本一」のスタッフと仕事が出来る幸せをしみじみ感じた、「軽大会」でした。






軽大会

対前年、マイナス、1台!

我がユーズネットグループの、9月度の販売台数は残念ながら、前年をクリアーできませんでした。

今週の、6日(土)・7日(日)に、豊田スタジアムで開催する、第2回「軽大会」に期待がふくらみます。

前回開催した時にアンケートにて、沢山の声をいただきました。

〇 各メーカーの軽自動車を、一度に見比べることが出来て、非常に良かった。

〇 今回は時期ではなかったが、近じか買い換えたい、次はいつ開催するのか。

〇 定期的に是非開催してほしい。

軽大会が、お客様に支持されていることが、アンケートから、直接お客様の声から伝わってきました。

ここ2.3年、お蔭様で順調に伸ばさせていただいた販売台数に、今年になって変化が見えてきました。

今年になって、前年割れする月が、9ヶ月のうち2~3ヶ月、見られるようになってきています。

地域のお客様の、大きなご期待と・・・
ユーズネットグループの現在の事情から、軽大会に大きな期待がかかる訳であります。


今日の、業界紙、及び経済紙に本年上期と、9月単月の国内及び、愛知県の新車登録台数が載っていました。

● 本年国内、上期4~9月・・・・74(昭和49)年に次ぐ低水準!

● 愛知県、 上期4~9月・・・・10%減(対前年)減少幅全国上回る!

         軽も苦戦・・・・9月単月は、14%減
         (但し・・愛知県のスズキは2・5%増  ダイハツは3・4%増)

  国内の新車(普通車も軽も)は売れていないが、愛知県では、スズキ・ダイハツの軽は善戦しているということでした。

同時期の当グループは・・・スズキの軽が、前年比、30%プラス、ダイハツの軽が、25%プラスにはなっています。

が、しかし、残念ながら、普通車の中古車はマイナスになってしまっています。

と言う事情もあり、「軽大会」は絶対成功させなければなりません。


第2回、軽大会は、今週末、6日(土)・7日(日)二日間、豊田スタジアム、西イベント広場にて・・・
                                         お待ちいたしております。

 



ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。ここに自己紹介が入ります。

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